悪の組織

よくよく考えてみると、悪の組織というのは面白い。
組織というのは、円滑に運営しなければ、かえって目的を遂行できなくなったり、組織の構成メンバーたちが著しい損害を被ったりする可能性がある。だから、組織として活動する以上、構成員の仲たがいや情報の錯綜などは、できる限り回避しなければならない。
しかし、仲たがいを解決したり、情報を正確に伝達したりすることは、世間では一般に「正しい」とされていることである。とくに、争いの仲裁なんて正義の味方の仕事としてこそふさわしい。悪であるならば、争いを煽って深刻化させるべきだろうし、自分も参加して、積極的に他者を害するべきであろう。
正義の味方と戦う場合も、集団で襲いかかるのであれば、チームワークが重要になる。もしもチームワークが欠如していたら、単独で戦うよりも戦果が少なくなってしまうかもしれない。チームワークというのは、相互の動きや意図に配慮しつつ行動することである。悪は、自分の目的のためならば他者の犠牲を厭わないものとされることが多いが、組織を円滑に運営するためには、組織内部の他者に対して、気を配らなければならないようだ。
他者が視界に入った瞬間に殴りかかり、仕入れた情報は、他者にとっての損失につながるような内容に加工して送り出す。こんなふうに、他者に対して常に攻撃的で、誤った情報を伝達するのを好むというのが、悪人というものであるならば、組織やチームなんて成り立たない。
つまり、本当の悪は、1人で正義の味方と戦うのだろう。いや、そもそも、正義の味方のような特定のターゲットを相手になんてしないかもしれない。視界に入った人や物全てに損害を与えようとするかもしれない。正義の味方が前口上を述べている最中でも、破壊行為を止めないかもしれない。「人の話に耳を貸す」という行為は、正しい行為であって、悪にはふさわしくないからである。
悪の組織、この言葉は、白い黒、平和な殺し合い、といった言葉と同様に、矛盾した単語の組み合わせなのかもしれない。もっと極端なことを言えば、悪は、生きることさえしないかもしれない。何しろ、生きるためには、自分を大切にしなければならないが、何かを大切にすることは、正しいことであり、悪にとって忌むべきことだからだ。
だから、本当の悪は、生まれたらすぐ自殺するのではないか。考えてみれば、個人も有機組織なのであり、細胞レベルのチームワークが成立する場である。悪は、そのような場が存在することを許せないだろう。
ところで、悪の正しい定義に従う悪は、果たして真っ当な悪なのだろうか?正しい悪の定義に従うのは、正しい行為ではないだろうか?だとすると、生まれてすぐ自分を殺すような悪も、やはり、真に悪とは言えない。彼は、最初の最後で、悪の正しい定義に従ってしまったのだ。