因習の耐えられない重さ2

あり得ない仮定ではあるが、ここに、勉強のみ得意な子供と運動のみ得意な子供の2人がいるとする。今後、勉強のみ得意な子供を山田君、運動のみ得意な子供を佐藤君と呼ぶ。もちろん、どちらも架空の人物だ。
小学生、中学生だったことのある人ならば、山田君と佐藤君、どちらが大人に評価されるかを、重々承知していることだろう。そう、大人に好評なのは、勉強のみ得意な子供―つまり、山田君―だ。おそらく、勉強が得意な子の方が、今後の人生においてリスクが少ないであろうと大人たちが信じているからだろう。多分、大人たちの判断は正しい。
スポーツ選手には、大企業の役員なんて目じゃないくらい、高い報酬を得ている人がいる。でも、国内に限れば、高い報酬を得ているのは、プロスポーツ選手のごく限られた人だけで、ほとんどの場合、有名企業の平社員よりも少ないか、どっこいか、というくらいの報酬を得て暮らしているのではないか?・・・・・・ただ、僕もスポーツ選手の報酬について調べたことがないので、以上のことは、テレビやラジオで知った雑多な情報を基にしたものでしかない。それでも、日本の多くの親たちが、僕のような見解を持っているのなら、結果として、自分の子供には、運動よりも勉強が得意な子であって欲しいと願うだろう。
親が、自分の子供に運動の才能があると感じた場合はどうだろうか?しかも、スポーツクラブに通わせたり、遠征試合の送り迎えをしたりするような、そこそこの経済的余裕がある家庭の親であれば、どうだろうか?未来のイ〇ローや浅田〇央になれたなら、子供自身も幸福になれるだろうし、宝くじに当たる以上のお金も手に入る(かもしれない)。あるいは、何十年に1人という天才になるのは無理だとしても、大企業に勤めるよりも豊かな生活を手にできるかもしれない。親や子供が、もし、そのように思ったのなら、彼らは、勉強よりもスポーツに重点を置くようになるかもしれない。自分の子供を佐藤君にしようとするかもしれない。
「勉強も運動も同じくらい頑張る」というのは、誰にでも出来るものではない。しかも、どちらもそれなりに高い成果を出そうとすれば、なおさらだ。そうであれば、勉強に重点を置けばスポーツがおざなりになり、スポーツに重点を置けば勉強が・・・ということになるだろう。
さて、最初に僕は、佐藤君よりも山田君の方が、リスクの低い人生を歩めるかもしれないと書いた。そして、世の親たちも、おそらく僕と同じような考えだろうとも書いた。だが、どうして僕がそう思うのかについては、まだ書いていなかった。以下では、そのことについて書く。もちろん、スポーツも勉強も得意という人がいないわけではない。バスケでインターハイに出場して、現役で東大に合格。そんな人だって1つの高校に数人くらいはいるだろう。でも今回は、そういった少数派については扱わない。そういった人たちは、どんな時代のどんな制度の下でも、とびきり運が悪いのでなければ、安心して生きて行けるだろうから。
話を元に戻そう。佐藤君が、山田君よりも不利な理由、それは、雑な言い方になるが、将来、職業を選ぶ際、あるいは、就職先を選ぶ際、選択肢の幅が狭いということだと思う。
「佐藤君の頭が悪いから、働き口がない」ということを言いたいのではない。日本に限った話ではないかもしれないが、職業選択や就職において重要なのは、未だに学歴だ。少なくとも、そう信じられている。学歴というのは、直接的に頭の良し悪しの指標になるわけではないけれど、いくつもの試験をパスしてきたということではある。試験というのは、小学校でのテストや中学校での中間・期末テストに始まり、大学入試のセンター試験や二次試験に終わるような一連の試験のことだ。そして、重要な点は、例えば、センター試験に実技4教科は含まれていないということだ。
中学や高校の期末試験には、実技4教科も試験科目に含まれている。でも、実技4教科もペーパーテストであって、実技そのものをその場で試されるわけではない。実技そのものは、試験日以外の通常授業の中で採点されるのみだ。実技教科において、授業中の実技の結果とペーパーテストの結果、どちらがどれだけの比重でもって成績に反映されるのかは知らない。だが、勉強のみ得意な子は、実技のペーパーテストで高得点をとる可能性が高いのに対して、運動のみ得意な子は、ペーパーテストで高得点をとるのが難しいかもしれない。加えて、運動が得意だからといって、技術家庭科の工作や手芸が得意とは限らないので、実技そのものにおいても、運動のみ得意な子のメリットは多くない。
以上のことだけから結論を出すのは早急に過ぎるが、小学校から大学までの道のりを、出来るだけスムーズに進みたいのであれば、やはり、運動よりは勉強に重点を置いた方が、有利な気がする。それでも、佐藤君にも逆転の手段は用意されている。そう、スポーツ推薦だ。いや、スポーツ推薦に限定しなくても、世間で重要視されている大会(例えば、オリンピックや高校総体など)に出場して好成績をとれば、内申点に大きく加味されることだろう。「勉強で頑張って成績を上げる」という道を何らかの理由で選ばなかった子供達は、こうして、運動に傾倒して行く。
「勉強で頑張って成績を上げる」道、「運動で頑張って成績を上げる」道、言い換えるなら、山田君の道と佐藤君の道は、形式的には、どちらも「〇〇で頑張って成績を上げる」のだから、同じようなものに思える。「結局、頑張って成績を上げることができれば成功し、成績が上がらなければ失敗する、というだけのことじゃないか?」とつっこむ人もいるだろう。でも、二つの道は、頭脳と肉体のどちらを主に使うか、という以外にも違いがある。
まず、すぐに気づくことだが、高校総体にしてもオリンピックにしても甲子園出場にしても、あるいは、県大会や市大会のようなもう少し地味な大会にしても、ひとつの競技で3位以内に入賞できる人数は、非常に少ない。3位入賞者が2人だとしても、計4人。オリンピックのようなレベルになると、代表選手に選ばれるだけでも相当な苦労だ。何しろ、同学年の相手だけでなく、他の世代すらライバルなのだから。
これに比べると、東大や京大に入学できる人数の方が、はるかに多い。高校野球選手で夏の甲子園に出場できる選手の総数は、1校あたり18人以内ということなので、最大で、18×49校=882人だ。対して、平成24年度東京大学入学者総数は、3153人。高校総体やオリンピックなどの出場者数も算出すべきなのだが、直感的には、山田君の方が、安全な道を歩けるであろうことは、分かってもらえるのではないだろうか。オリンピック出場とか甲子園出場ということを大学入学と同列に扱うのには無理があるのは確かだ。前者は、歴史に名を残すような偉業になり得るが、後者は、いくつかの資料を念入りに調べでもしない限り、名前は分からないだろうからである。ただ、今回は、どちらがより偉大になり得るかということではなく、どちらかどれだけリスクの少ない人生を歩き得るかということを考えたかったので、このような比較を行うことになった。