アゲインスト・マッスィーン

 去年のことだけど、googleの自動走行車が、ちょっとしたニュースになった。米国のある州では公道を走ることができるようになったとか、あと数年で実装した自動車が市場に出回るだろうとか、「明るい」論調のようだった。ただ、課題は残されているらしく、1)事故の際、責任は誰が負うのか、2)予測不能な障害物には対処できないかも、3)失業者(タクシードライバーなど)の大量発生、4)運転の楽しみを奪われる、以上の4つが、主要な課題らしい*1
 1番目の課題に関しては、新しい技術が普及する際には、常に生じるものだろう。現行のルールで対応できなのは当たり前のことなので、少しずつルールの改変や整備を進めるしかない。2番目の課題は、一番重要なのではないかと思う。ルールの改変や政策の実施といった方法では、どうにもならない。自動走行の技術そのものの発展、あるいは、障害物を取り除いたり、発生を事前に防いだりする技術が開発しない限り、克服の難しい課題だ。3番目の課題も、仮に自動走行技術の実用性が確かなものとなった場合、大きな社会問題になるだろう。打ち壊しみたいなことだって起こるかもしれない。でも、自動走行と言っても、もしもの時に備えて、機械のメンテナンスや助手のような役割を担う人は必要だろうから、自動走行技術の普及が、即大量失業というふうにはならないのではないか。大量失業が見込まれるような場合は、政府や社会全体で、失業者たちの諸権利が守られるよう協力することになるだろう。4番目の課題は、ある価値観の持ち主にとっては、確かに深刻な問題かもしれない。ただ、彼らにはかわいそうなことだけど、そうした価値観が、世論を動かすほどの大きな勢力を持つとは思えないので、おそらく多数派の圧力によって、軽視あるいは無視されてしまうだろう。
 自動車を運転することに、何の思い入れもない(というか免許を持っていない)僕のような人間にとっては、自動走行技術の実用化は、喜ばしいことだ。でも、個人的な疑問なのでさっきの課題リストには挙げなかったけれど、自動走行技術を搭載した自動車は、その技術を搭載していない自動車と共存できるのだろうか?共存という言い方は、適切ではないかもしれない。僕が言いたいのは、次のようなことだ。課題の2番目にも挙がっているように、自動走行技術は、予測不能な出来事に弱い。だとすれば、人間の運転する自動車は、そのものズバリ予測不能な動きをする運動体と言える。だから、自動走行技術の普及過程では、この技術を搭載した自動車と搭載していない自動車が、同じ道路を行き交うことになるわけだけど、これは、自動走行技術を搭載した自動車から見れば、道路を予測不能な障害物が、自分と同じ速度で走り回っているということだ。
 自動走行技術は、人間よりも安全な自動車運転を提供できるという話がある。僕もこれは肯定できる話だと思う。ただ、この肯定は、世の中の全ての自動車にこの技術が搭載されたら、という条件付きの肯定だ。もしかしたら、自動走行技術最大の課題は、この技術の普及過程にあるのかもしれない。高度なコンピューター最大の障害物は、凡庸な人間ということなのか?