欠陥住宅ができるまで―その3―

 国際連合成立までの流れを見ると、国連の形骸化という問題は、国連という組織の外側からもたらされたものというよりも、先天的な性質なのかもしれないという疑いが生じる。見方によっては、西の代表=米国と東の代表=ソ連の二国間協定でしかないようにも見える。もちろん、実際にはそんな単純な話ではなく、心から恒久平和を実現させようとして国連成立に尽力した人々もいただろうし、米ソだけではない戦勝国間での牽制や妥協や利害調整も、国連成立には欠かせないものだっただろう。
 それでも、ヤルタ会談の結果、ドイツやポーランドは、その国民の意思とは無関係に他国によって進む道を決められてしまい、日ソの領土問題という厄介な問題を残すことにもなった。国連は、その誕生以前から、国際協調や民族自決といった理念とは相容れない矛盾を抱えていたと言えるかもしれない。

1945年4月 サンフランシスコ会
 連合国50カ国が招請され、国連憲章が採択された。1945年10月には正式に発足。

1946年1月 第1回国連総会(ロンドン)
 本部はニューヨークにおかれた。「戦勝国である旧連合国の意向を強く反映し、とりわけ2大超大国となった米・ソの協力が期待されていた」(テキスト、p.485)。