欠陥住宅ができるまで―その2―

 1941年の大西洋憲章には、通商の自由と経済協力の原則が表明されていた。これを土台に開催されたのが、ブレトン・ウッズ会議である。

1944年7月 ブレトン・ウッズ会議
 国際連合発足に至るまでの歴史を整理するのであれば、話の流れを中断させないために、今回は無視するのが妥当かとも思ったが、大西洋憲章ブレトン・ウッズ会議、大西洋憲章国際連合発足とは、それぞれ無関係ではない以上、流れの中に組み込むべきだと考えた。
 この会議の結果、国際通貨基金IMF国際復興開発銀行IBRDの設立が合意され、45年12月にどちらの組織も発足させられることになる。当時、世界のほとんどの金は米国に集中していた。IMFは、金だけを国際通貨とする金本位制ではなく、金とドルを国際通貨とした。金とドルとの交換比率は、金1オンス(約28g)=35ドル。ドルと他国の通貨との交換比率は、1ドルに対して1%より狭い変動率。こうして成立した国際通貨体制をブレトン・ウッズ体制あるいはIMF体制と呼ぶ。
 まとめると、ブレトン・ウッズ会議の目的は、国際通貨間の交換比率を安定させ、自由貿易を発展させることにあるということになる。IMFとIBRDについては、ブレトン・ウッズ体制を扱う際に、もっと詳しくやりたいと思うが、ここでは以上のように、大雑把な説明をするだけにしておく。

1944年8月21日〜10月7日 ダンバートンオークス会議
 米国、ソ連、中国、英国が参加し、国連憲章草案がつくられた。

1945年1月30日〜2月3日 マルタ会議
 マルタ会議については、テキストにその単語すら記載されていないので、またもやウィキペディアの説明に頼る。
 会議の目的は、ドイツに対する最後の戦いの計画を行うこと。赤軍(ソ連正規軍)が中央ヨーロッパにまで前進してくるのは好ましくないという点で同意が成立したとされる。当時の人々にとって中央ヨーロッパがどこからどこまでの範囲を指し示したのかは分からないが、現在のドイツ、オーストリアリヒテンシュタインチェコポーランド、スイス、ハンガリースロバキアスロベニア辺りのことだと理解していれば不都合はないだろう。
 ところで、この会談は、コードネーム「アルゴーとクリケット」と呼ばれていたらしい。クリケット=英国というのは分かりやすいが、アルゴーというのは、随分大げさだ。どちらの国が名づけたのだろうか?米国が「俺はアルゴーでお前がクリケット、これってどう?」みたいに切り出したら、英国の気分を害しそうだし、英国が自分から言い出したのだとしたら、慇懃無礼になりかねない。奇妙なコードネームだ。

1945年2月4日〜2月11日 ヤルタ会議
 さて、昨今の国際問題にまで影響を及ぼすことになるヤルタ会談である。「戦後ドイツの4カ国(米・英・仏・ソ)共同管理の方式を決定するとともに、戦後成立を予定されていた国際連合の構想が定められ・・・[中略]・・・秘密協定として、ソ連の対日参戦(ドイツの降伏以後3カ月以内に)と、それに見合うソ連の旧領土・利権の回復などが決められた」(p.482)。英国、米国、仏国、中華民国ソ連の5カ国の「拒否権の範囲に関して米ソ両超大国の間に合意が成立する」(p.485)とある。現在の常任理事国の拒否権に該当する。注目すべきは、「中華民国」という単語だろう。中華民国の地位は、1971年のアルバニア決議で一転する。この決議を境にして、中国の代表権は、中華人民共和国に移され、中華民国は、国連とその関連機関から脱退することになる。
・・・ヤルタ会談の意義をまとめると・・・
米英ソの三巨頭会談では
1、ドイツを米英ソ仏で分割管理
2、国際連合設立のため4月25日サンフランシスコで会議を召集
3、ポーランドの政権問題
米ソ間の秘密協定では
1、カイロ宣言で取り決めた戦後日本の領土に関するものの再確認
2、ソ連の対日参戦決定
3、南樺太領および大連・旅順の租借権のソ連返還
4、満鉄の中ソ合弁経営
5、中華民国満州における主権の保有
6、千島列島のソ連への引渡し
以上のことが取り決められた、ということになる。


【本】
『未完の明治維新』(坂野潤治著、ちくま新書)
【DVD】
「エンジェルウォーズ」(原題はSucker Punch,監督・製作・脚本はザック・スナイダー,また、日本語吹き替えには、アニメ「けいおん!」のあの人たちも参加している。)