武道バカ一直線part.3

 さて、「伝統的な考え方」や「相手への敬意」を学ぶための武道の授業は、年間を通して何時間ほど行われるのか?

保健体育の年間標準字数も、従来の90単位時間から105単位時間に改められましたが、このうち「器械運動」「陸上競技」「水泳」「球技」「武道」「ダンス」に割り当てられるのは79単位時間となり、それを平均すると「武道」に割り当てられるのは13時間程度になります。

これも連盟ホームページからの引用の一部だけど、武道に割り当てられる時間が13時間って少なすぎないか?「付け焼刃」感が半端ない。3年間の合計でも39時間。道場に週2で通っている人の場合、一日2時間の練習として、4週間で16時間。だから、道場に週2ペースで通っている人の3か月分の練習量にも満たない。道場に通い始めて3ヶ月だと、まだ受身も上手くなってない段階だ(当社比)。だから、仮に、安全面への完璧な配慮が行われていて、指導資格を持った人材が十分に揃えられた場合でも、とてつもなく中途半端な授業が行われることになる。

 前回、僕は、暗黙知のように経験を通してしか体得できない知もあるということを認めた。仮に、武道によって学ぶことのできる事柄の中にも、そのような種類の知があると見なした場合、果たして、道場通いの子供の3ヶ月分の練習量によって、武道に固有の知が身につくものだろうか、という疑問が生じる。しかし、ここで話題にしている知は、経験を通してしか体得できないのだから、3ヶ月で体得可能かどうかは、それこそ経験してみなければ分からない。個人的な経験から明言できることといえば、3年間を通して、死傷せずに無事生き残った生徒たちには、「意識的に受身がとれる」というスキルが身についているだろうということくらいだ。ただし、正確なところは、個人差があるので分からない。ただ、そうだとしても、3年間の合計が39時間しかないような「経験」から学ぶことのできる知の大きさは、3年間における無謀かつ付け焼刃的な武道の修練によって生徒たちが味わうことになるであろう死傷リスクの大きさに値するのだろうか?

 以上のことについて、科学的な比較を行うだけの準備はないけれど、私見を言わせてもらうならば、社会科見学で自動車工場を見て廻った小学生が、もしも「僕(わたし)は、工場で働く人々の喜びや辛さを体得した」とほざいたとしよう。年間39時間で武道の知を体得したと生徒がのたまうのも、あるいは、39時間で伝道できると教員が自負するのも、どちらも社会科見学で社会の仕組みを知ったと錯覚する早熟な子供と似たようなものではないだろうか?