オーキー

 経済学史の講義で、リカードの比較優位を知ったとき、疑問に思ったことがある。それは、羅紗の生産を相対的に得意とする国におけるワイン生産者、ワインの生産を相対的に得意とする国における羅紗生産者、両者のその後の人生は一体どうなるのだろうか?というものだった。
 ちなみに、「相対的に得意」というのは、自国内で生産した場合、一方の物と比べて生産費が低いという意味。リカードの場合、ワインや羅紗を生産するのに労働以外を必要としないことになっているので、生産費=人件費と見なして良いと思う。


 比較優位についての説明では、結果的にどちらの国も労働を節約できるので良かったね♪ということになる。相手国からワインを輸入するようになった国では、ワイン生産者がダメージを受けるし、羅紗を輸入するようになった国では、羅紗生産者がダメージを受ける。 
 紙の上の世界では、ダメージを受けた産業の関係者たちは、別の産業に移行できることになっている。ここは、ワインと羅紗しか生産されていない世界なので、ワイン生産を辞めた人たちは、羅紗生産を開始し、羅紗生産を辞めた人たちは、ワイン生産を開始することになる。
 最終的には、ワインの世界的生産量も羅紗の世界的生産量も、つまり両国のワインや羅紗のそれぞれの総生産量は、最初の状態よりも大幅に増える。こうして、比較優位に基づく取引は、世界全体に恩恵をもたらすことになり大団円という筋書きになる。 


 ただし、現実世界には、時間の流れというのがあるので、ワイン生産に従事してきた人たちが、羅紗生産を開始したとしても、事業が軌道にのるまでには時間がかかり、その時間の長さによっては、その人たちは餓死することになるかもしれない。
 何しろ、生活の糧は、働かなければ手に入らない仕組みになっているのだから、羅紗を一定量生産し終えてそれが見事売れるまでの間は無収入だ。ワインを生産していた頃の貯金や預金があれば、それを切り崩して生きながらえることができるが、貯えが無ければ、借りるか(人生を)諦めるかのどちらかだ。
 いや、そもそも、羅紗生産を開始できるだけの資金や技能を所有しているのか?という根本的な問題がある。また、誰もが企業家精神を持っているとは限らないし、企業家になるための金や資質を持っているわけでもないので、当然、それまでの仕事を辞めた人たちの中には、雇われて働く人が多数いるはずだ。国によっては、年齢や性別や学歴が、就職の有利不利を左右するので、その中の何人かは、失職する可能性がある。

 
 リカードのこのモデルは、物事を出来るだけ単純化してあり、そのため自由貿易の利点を直感的に理解させるのに優れている。ただし、単純化されているからこそ、このままでは、現実の国家間の取引には当てはめられないということも広く知られている。労働以外の生産手段は登場しないし、国ごとに異なるはずの制度や自然環境なども考慮されていない。「我が国は、ワイン生産に心血を注ぎ込むべきであります!」と忠臣に進言されたとしても、ブドウ栽培に適した土壌に限りがあれば、進言は却下するしかない。
 仮に、[リカードのモデルは正しい→自由貿易は良い]と思考する人や[リカードのモデルは間違っている→自由貿易は悪い]と思考する人が実在するとしたら、どちらも間違っている。まず、比較優位の考え方自体は間違っていない。前提条件を踏まえれば、そこから当然導かれる結論がしっかりと出されている。だからといって、これをそのまま現実に適用できると考えるのは、論理の飛躍だ。


 『ファイブスター物語』に登場するMH(モーターヘッド)たちは、設計図通りに作れば、現実世界でも実物大のものが稼動可能だという話を聞いたことがある。でも、MH作成に必要な材料が現実に存在しなければ、MHが稼動するという現実は永遠にやって来ない。なによりファティマがいないし・・・・・・。それと同様に、理論として正しくても、それが現実に適用可能かどうかというのは、条件次第(ケース・バイ・ケース)としか答えられない。


【本】
暴力団追放を疑え』(宮崎学著、ちくま文庫)