あきっぽい東京

 全米?を震撼させたデモが、東京にも波及したようだ。数百人規模の動きになっているらしいが、掲げられている目的はけっこうバラけている。分母が数百人だとすると、一つの目的当たりの人数は、たいしたことないのかもしれない。
 これは憶測と偏見に基づいているのだが、デモ行為が盛んな諸国とくらべると、日本という国は、箱根細工のように、国民の意見を国の中枢に反映させる仕組みのようなものが、美しく配線された回路のように、良くも悪くも精密に組み立てられていると思う。だから、国側から見て「正しい」手順を踏まなければ、隙間なく組み立てられた回路に割り込むことができない。その代わり、「正しい」手順さえ踏めば、よほど無理な要求でない限り、話し相手にはなってくれる(要求が通るかどうかは別問題)。・・・・・・という印象がある。 例えば、日本の鉄道は優秀だという話を聞いたことがあるけれど、電車が定刻を死守すればするほど、電車に乗り遅れるわけにはいかなくなるように、国というシステムが完成されていればいるほど、そこから漏れ出てしまった場合、人生の挽回は難しくなる。その代わり、乗り遅れずに電車に乗れた人たちには、大いなる恩恵が約束される。
 デモという行為が、こうしてだんだんと繰り返されてゆけば、数十年後には、デモも「正しい」手順のなかに組み込まれるようになるかもしれない。

 ちなみに、ウォール街や米国首都でのデモを呼びかけたのはアドバスターズという団体なのだそうだ。概要を知りたい人は、→http://adbusters.cool.ne.jp/info1.htm
 私見では、某テレビ局に対するデモのほうが、彼らの活動主旨に合っていたように思う。