コミュニケーション能力

 某掲示板ではないけれど、僕も以前から、この能力がどんなものなのかわからず、しかし、わからなくても生活にも研究にも何の支障もなかったので、わからないまま今日に至る。
 単純に、「頭が良い」とか「有能な」とか言えば十分なはずなのに、「頭が良い新人が欲しい」「有能な新人が欲しい」などと言うと世間との軋轢が生じてしまうから、それを恐れた人たちが、コミュニケーション能力という言葉のあやふやさを嗅ぎつけて使うようになったのではないか?と、邪推していた時期もあった。
 世の中にはシャイというか内気な人が少なからずいる。ちなみに、僕の場合は、内気というより小心者という評価が適切だと自負している。だけど、何らかの先天的な疾患を抱えているのでもない限り、場の雰囲気や人間関係に慣れることさえできれば、想いを伝えることはできるようになるだろう。もちろん、僕は、コミュニケーション能力というのが何を意味するのかわかっていないので、想いを伝えられる能力=コミュニケーション能力という理解が正しいかどうかは保証できない。
 仮に、僕の理解が正しいのならば、世の中の企業が、どうしてこうも熱烈に、コミュニケーション能力の高い人材を求めるのかがわからない。職場の雰囲気や人間関係に慣れさえすれば、ほとんどの人が問題ない程度に発揮できるようになるであろう能力なのだから、そんなに熱心に求める必要があるとは思えないからだ。だから、僕の理解は、間違っている可能性が高い。企業は、伝達能力に優れた人材を求めているのではなく、もっと別の能力に優れた人材を求めているのだろう。
 では、どんな能力なのだろうか?ウィキペディアの「コミュニケーション能力*1」という項目には、

企業が求人広告等で応募者に要求している「コミュニケーション能力」は、ビジネスシーンにおいて発揮が期待される精選された「折衝能力」「交渉能力」「説得能力」を指しており、必ずしも対人コミュニケーション一般を円滑におこなうスキルをもって満足するものではない

という定義が記載されている。これが企業の求めるコミュニケーション能力の正確な定義だとすれば、これは恐ろしいことだ。要は、どこぞの国家における外交官とか執政官のような能力が求められているのだ。
 確かに、僕が企業するとしても、そういった能力を持つ人材を求めるとは思うけれど、そんな人は、ほとんどいないのも確かだ。僕にそんな能力があったならば、僕はとっくに企業しているかもしれないし、銀河帝国宰相にでもなっているかもしれない。これが大げさな言い回しだとしても、こうした能力を持つ人は、足を棒にして何百もの企業を歩き廻らなくとも、即座に採用担当の社員の人心を把握して、自分の望む企業への採用をゲットしていることだろう。
 まあ、実際の話、企業だって、定義どおりの人材がそこらに転がっているなんて思っていないだろう。「こんな人材がいたらいいなあ」というはかない想いを込めて、求人広告に「コミュニケーション能力の高い人求む」と記載するのだろう。だから、求人広告などにコミュニケーション能力という言葉が踊っていたとしても、僕はこれまでと同様に、気に掛けないようにしよう。ただし、いわゆる学識者が、「コミュニケーション能力」という言葉を使っている場合には、その人物の言動には用心したほうが良いのかもしれない。
 ところで、組織の構成員がすべてウィキベディアにある通りのコミュニケーション能力を持っている場合、その組織は、激しい内部抗争の末、離散してしまうんじゃないだろうか?社員それぞれが、自費で雇った密偵を使って、他の社員(上司ももちろんターゲットだ)の秘密を握ろうとしたり、自分の派閥を拡大しようと暗躍したり、相手の言葉の裏の裏を読んだり・・・・・・etc、あまりにも有能な社員ばかりだと、野心と野心との潰し合いが生じてしまいそうで怖い。言動の管理という新しい仕事が増えそうだ。求人広告には、コミュニケーション能力以外にも「野心のない方」「平穏を望む方」という条件を付け加えるべきかもしれない。「有能だけど向上心のない人」というのは、果たして実在するのだろうか?
「私のような者の存在は不可欠でありましょうとも」