「ヘ」テロパスカル

以下、僕の邪推です。
 どうってことのない(と思っていた)問題が、表現の規制(特に性的なものに関して)に発展しつつあるようで、正直戸惑っている。
 「なぜ性を売らなければならない子供が存在するのか?」という問いに、規制推進派の人たちは、「買う人がいるから売り物にする人がいる」と答えるのかもしれない。
 性を買う人、性を売り物にする人、彼らを積極的に罰することに異論はないけれど、もしも、本当に子供達を悪循環から救いたいと思うのであれば、別の点に着目する必要がある。それはつまり、性商品は、どのように生産されるのか?ということだ。
 子供が性を売るのは、「性行為が好きで好きでたまらない」というのでない限り、それを売らなければ生きていけない境遇にあるからだ。性を買う厚顔無恥な大人、その大人に性を売りさばいてくれる大人、彼らの存在は、そんな境遇に置かれた子供にとって、悲しいことだが、生きていくための必要悪となっている。
 彼らは確かに悪であり、罰されるべき愚か者ではあるけれど、彼らがいなくなれば、子供たちは、性ではない別のモノを売ることにするだけである。それは内臓かもしれないし、労働力かもしれないし、人生(奴隷になるということ)かもしれない。
 商品の流通面にのみ着目していたのでは、規制推進派の本当に達成したい目的には手が届かない。子供達の境遇改善という経済的問題が、問題の本質だ。「save the children」に到達する日は、まだまだ遠い。
 さて、商品の流通面ばかり見ていても実質的な効果は薄いということは確かなのだけど、推進派の論法に従って、子供の商品化を流通面にのみ着目して規制しようとするならば、規制の対象がポルノだけというのは生ぬるいということになる。国外から提供される医療目的の内臓や脊髄に関しても規制の網を細かくしなければならないし、ダイヤモンドや鉱物資源、コーヒー豆や衣料品、多種多様の原料や製品を規制する必要が出てくる。大企業の財政基盤を揺るがすような規制が必要になることだって考えられる。なぜなら、「save the children」の徹底は、安価な労働力の供給を妨げるからだ。
 そう考えると、「save the children」を希求してやまない人道主義者たちが、どうしてアダルティーな産業ばかりに圧力をかけるのか、その理由について不謹慎にも邪推できてしまう。それに、彼らの主張の論理整合性が怪しいということに関しても、その原因が彼らのオツムの弱さにあるのではなく、「子供の商品化」という大きな問題を「児童ポ○ノ」という小さな問題に無理やり詰め込んでしまったことに由来するのではないかという疑いも生じてくる。しかも、「児童ポ○ノ」問題を真正面から取り上げれば、当然、「子供の商品化」という大きな問題にも言及しなければならなくなってしまい、世界企業を糾弾しなければ不自然な状況に陥ってしまう。なので、問題の焦点を無理やりにアダルトグッズ(アダルトなコンテンツも含む)へとズラしたということなのかもしれない。こうして、解決しても何の解決にもならない問題を問題視することに成功したというわけだ。