「無」為徒食

 僕の好きな著者の本に、人間は「ファウスト型」と「モーツァルト型」とに分類できるという考えが紹介されていた。趣味や遊びに生きているようなタイプは、「モーツァルト型」に属するらしく、一昔前のモーレツサラリーマンのような人や教養主義者のような人は、「ファウスト型」に属するのだそうだ。
 上昇志向でひたすら前進し続ける「ファウスト型」の人たちによって文明は発展し、社会を支える基盤が築かれる。「ファウスト型」の人たちによるひた向きな努力の結果、これ以上は無理ってなくらいに文明は進歩し、いわゆる飽和状態に達する。そして、「モーツァルト型」の人たちは、ファウスト博士達が築き上げた社会で人生をエンジョイする。文明進歩は、こんな感じのメカニズムとして理解できるというお話だ。
 だけど、この説明だと、社会が一度でも飽和状態に到達したら、そこで話が終了してしまう。それだと、我々人類には、終末の笛の音を待つことくらいしか出来なくなってしまうので、もっと動態的な仕組みになるように屁理屈をこねてみたい。
 遊びや趣味に生きることは、何かを浪費し続けるということではない。物理学の進歩にコペンハーゲン精神が貢献したと言われるように、「モーツァルト型」の人たちには、飽和状態を打ち砕く可能性が秘められていると考えることができそうだ。これが「アハッ!」とか「イヒッ!」というやつかもしれない。

【今日の読書】
『哲学は人生の役に立つのか』(木田元著、PHP新書):上の日記で挙げた本。この本の中で、著者が『進歩の終焉―来るべき黄金時代』(ステント著、渡辺格/生松敬三/柳沢桂子翻訳、みすず科学ライブラリー)という本を紹介している。「ファウスト型」「モーツァルト型」という説は、この本の著者スタントによるものらしい。

『からだの中の夜と昼』(千葉喜彦著、中公新書)

聖☆おにいさん』第1巻〜第3巻(中村光講談社):まさにバイブルであり経典。