「ミ」ーム

 「ゲーム脳」がまだ議論になっていたとは知らなかった*1
ゲームもスポーツも勉強も、やり過ぎは良くないというだけの話なんだと思う。
 仮に、一日中ゲームばかりやっている子供が、何らかの暴力事件を引き起こしたとしても、ゲームをやっていたことに原因があると考えるよりは、一日中ゲームばかりやっているしかなかった状況に追い込まれたことの方に原因があると考える方が説得力があると思うのだけど、どうだろうか?
 それに、そのゲームが暴力的な内容だった場合には、そのゲームの購入を決めた時点で、その子供に暴力的な内容のゲームを選ぶ何らかの理由があったはずなので、そのような内容のゲームを選ぶようになった背景の方を解消してあげた方が合理的だろう。経済、政治、家庭、いろいろな面からアプローチしないと、そもそもどうして「ゲーム脳」が問題になり得たのかという議論の本質を見失ってしまう*2
 それにしても、この研究*3で列挙されている「暴力的、中間的、向社会的ゲーム」って、それぞれどんなゲームのことなんだろう?対戦格闘は、生身の人間との交流があるから、向社会的ゲームだろうか?シューティングは、上手だとたくさんの観衆が集まるので、結構社会的かもしれない。そういえば昔、テトリスは兵士育成のために有益なゲームだという話があったような気がするけど、ブロックを落下させたり、突然消滅させたりする行為は、やっぱり、暴力的ということになるのかもしれない。
 そうそう、過剰は良くないと書いたけど、歴史に名を残した偉人には過剰な人が多いと思う。過剰が良い方へ転がるか、悪い方へ転がるかは、その人の運次第ということかも*4

【今日の読書】
『知性はどこに生まれるか ダーウィンアフォーダンス』(佐々木正人著、講談社現代新書)
『青銅の神の足跡』(谷川健一著、小学館ライブラリー)
『風俗の歴史 性の商品化時代』第9巻(フックス著、安田徳太郎訳、角川文庫)