「上」着を穿いて町へ出よう―逃走篇―

 唐突に江戸と西洋との「裸」観の違いなんぞを比較したりなんかして、大雑把にも程があるのだけど、いい加減な気分で続けたいと思う。
 実は、前回長々と書いた駄文は、これを見せたいためだけに書き始めたものだった。


話をなんとかこの写真へと持っていこうとしたのだけど、結局辿り着けなかったのだった。
 この写真は、前回紹介した本でも取り上げられている。詳細な年代はわからないのだけど、1930年代の総力戦の道を歩き続けていた日本の、とある国民学校の光景である*1
 開国期の急激な異文化吸収と自国の文化の無思慮な切捨て、総力戦路線における人々の心の拠り所としての「日本的精神」創造の必要性*2、などなどが要因となって、このような光景が生み出されたのだと思われる。
 現代の我々から見て、この光景が、奇異であるとか理解不能だとかそういうことが問題なのではない。この光景から読み取れることは、文化が、何か確固たる存在として理解されるようなものではないということだろう。他の時代や他の文化圏から眺めたならば、ある時代のある文化は、何か得体の知れないもの・突拍子もないようなものと思えてしまうことが大いにあり得るということだと思う。
 社会のルールやマナーを考える際、過剰な相対主義は役に立たないけれど、相対的な視野を持たない絶対主義ほど危険なものもない。


追伸:「犯罪や事故を未然に防ぐ」という発想から生まれる様々な規制が、常に大きな騒ぎを巻き起こすのは、以上のような文化に対する認識の在り方とは全然関係ないのかもしれない。もしかすると、その「未然に防ぐ」という発想自体に無理があるのかも。今後の課題である。

*1:アサヒグラフ増刊 われらが100年』に掲載されているらしい

*2:「の」が多すぎてゴメン