「上」着を穿いて街へ出よう―散歩篇―

 「裸」というものをどのようなものとして社会に位置づけるか?これは、これまでも、そして、これからも人間社会にとっての難問であり続けるのだと思う。
 裸婦の絵を見て、「何て素敵な芸術だ」と思う人もいれば、「お下劣!燃やしてしまえっ!!」と思う人もいるかもしれない。一枚の絵が芸術であるか猥褻物であるか、それを決定する根拠というのは、決して明確ではない。その絵の作者が誰なのかによって、もしくは、その絵の展示されている場所がどこなのかによって、あるいは、周囲の人のその絵に対する評価によって・・・etc、一枚の絵の運命は翻弄される。
 西洋の文化圏では、「裸」は、アダムとイヴの原罪としてスタートし、ルネサンスを経て、芸術という安らぎの場を確保したらしい。「裸」が絵の題材となる場合、それは、人間の理想的な裸体として描かれたのだそうだ。真の美を表現するという大義名分のもとに、「裸」は、芸術になったということらしい。
 それに対して、日本(江戸)には、裸でいることに罪の意識はないけれど、例えば銭湯(混浴)なんかでは、「お互い素っ裸だけど、他人の体をジロジロ見るのはお行儀が悪いってことくらいわかってるよね?」という暗黙の了解はあったらしい。上半身裸で町中をうろつく人、人前で堂々と赤子に授乳する母親、「見えてますよ!」な状態で仕事する職人・・・・・・etcが当たり前のようにいたらしいけれど、それをジロジロ見るのは嫌われるということのようだ。このような意識なり価値観なりのもとで展開された浮世絵や春画は、当然、西洋における「裸」とは異なる意味や文脈の中で「裸」を扱うことになる。
 春画に見られるグロテスクな性描写や大げさでアクロバティックな体位、浮世絵に見られる着衣のエロス、そういった題材が多いのも(というより、純粋に「裸」だけを描くことはほとんどなかったらしい)、そもそも「裸」というものが、わざわざ描くだけの価値のあるものではなかったということを示唆しているのかもしれない。つまり、江戸の人に「裸ってどう思いますか?」と尋ねたら、「(コイツ何つまんねーこと訊いてやがるんだ?という顔で)フツーっすね」という答えが返ってくるという感じだろうか。
 しかも、西洋の印象派の人たちに大きな影響を与えたとされる浮世絵は、芸術ではない。芸術や美術という概念は、輸入品だし、浮世絵や春画は、娯楽の領域に属するものと考えた方がしっくりくるように思う。
「裸」が原罪であり、芸術ではない「裸」はタブー、という西洋。「裸」はフツーであり、「裸」を娯楽として加工した江戸。現代の欧米と日本のくい違いは、こんなところに端緒があるのかもしれない。
 はてさて、素人考えはここまでにしたいと思う。西洋と日本とにおける「裸」受容の歴史について、詳しくかつ正確に知りたい方は、『刺青とヌードの美術史』(宮下規久朗著、NHKBOOKS)をお読み下さい。