「通」学する服がない

 僕が中学生の頃にも、「個性の実現のために制服を廃止しよう」ということを主張する人たちがいた。生徒会選挙の時なんかには、そういう主張をする声がとりわけ大きくなったものだ。当時の僕は、制服の方が経済的で家計への負担が少ないだろうという理由から、私服化には反対だったけれど、今考えてみると、制服が経済的という考えも正しくはなかった。
 10代中盤から後半は、成長期だ。制服を1度や2度は買い替えた人も少なくないだろう。だけど、制服というのは、私学のブランドものでなくても高価だ。一般家庭にとって、制服を2度も3度も買わなければならないのは相当な負担だろう。近所や親戚からお古を貰うという手もあるけれど、この少子高齢の時代に、そんな手段を選べる人は多くないだろう。ユニ○ロとかギャ○プとかで購入した私服を大切に大切に使ったならば、制服よりもはるかに経済的ということもあり得る。
 けれども、私服にはない効果を制服がもっているということも否定できない。制服のもつ効果は、どれも管理社会を連想させ、印象の悪いものが多いけれど、管理がし易いということは、管理コストが抑えられるということでもある。それに、大半の人は、近い将来、組織人になるということを考えると、本人に「自分は管理されている」という自覚さえあれば、管理される経験は、役立ちそうだ。その意味では、衣服のデザインを統一するということにも意義があると言えそうだ。
 制服の長所と私服の長所、両方を併せ持つ新しい制服。経済的で活動的なだけでなく、組織人らしさを身につけることもできる服。・・・・・・一瞬だけ人民服を思い浮かべてしまったけれど、それは措いといて、やっぱりジャージーかな。体育や部活の時に着替える必要もなくなるし、家でも部屋着として使える。
 作務衣、伸縮性の高い素材で作られた全身タイツ、拳法着、他にもいろいろ考えてみたけど、身近にスキルのある人がいるという条件つきでならば、和服も良いかもしれない。サイズの調整が家庭で出来るという点で。しかも、衣服としての天寿をまっとうした後にも、他のモノに作り変えることが出来るし。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090523-00000063-yom-soci
制服の歴史 | 京都の学生服専門店 村田堂 |
http://www.sgm.co.jp/kituke/2006/08/post_287.html