「異」世界でも落ちこぼれ

 現社会を貫く価値観を一つあげるなら、金儲けの才能が最も優遇されているという意味で、やっぱり「金」なのだと思う。「もしもボックス」があれば、「金」を最良とする世界を「努力」とか「勇気」とかを最良とする世界へと転換することができる。つまり、革命だ。
 だけど、価値観が転換したとしても、価値観がある限り、その価値観に基づいた世界では上手くやって行けない人というのが必ずいる。ドラえもんの「魔界大冒険」は、その事実を物語りのなかに上手に取り込んでいて素晴らしい。「科学」の世界が「魔法」の世界へと転換しても、のび太は落ちこぼれのまま。もしも、彼に一人の友人もおらず、未来の道具もなかったなら、とても残酷でひたすらシリアスな毎日が続いたことだろう。
 革命思想を抱く人には、優秀な人が多い。太平洋戦争の前も後も左側思想=インテリだった。だから、この思想には限界があったのだろう。ストイックで高潔な思想は、ヘッポコな人間を見落としてしまう。ヒューマニズムを掲げている思想にとって、これは大きな矛盾だろう。
 ただし、この問題は、別に特定の思想だけの問題ではないと思う。特定の価値観を絶対視することが思想ならば、どんな思想にでも当てはまる。この問題を解消するのは不可能だろう。「色即是空 空即是色」、これによって問題を解消することはできるかもしれないけれど、同時に社会も消失してしまう。誰もが仏陀であり、誰もがソクラテスのような社会というのは、多分、あり得ない。社会の消失によって問題が解消できても社会人にとっては意味がない。こんな深遠な問題がさり気なく盛り込まれているあたりが、ドラえもんの恐ろしさだ。