「め」んせつ

 高校受験、院受験、僕の面接経験は当然ながら少ない。研究発表も自分の思考力や考えを公開するという意味では面接に近いのかもしれないけれど微妙に違う。
 節度ある食生活を開始する以前、某ファーストフード店で夕食をとっていた。すると、僕の後ろのテーブルから「採用されたと仮定して、あなたはどのような貢献ができますか?」「えーと、あの、ボソボソ・・・」云々といったやりとりが聞こえてきた。当人たちに気づかれないようにチラリと見てみると、お店のユニフォームを身に着けた女性と高校生らしき青年とがテーブルをはさんで向き合って座っていた。
 そろそろ夏休みが始まろうという時期だったから、おそらく夏休みのバイトのための面接だったのだろう。青年は、女性店員の質問に一生懸命かつ丁寧に答えていた。「なぜ当店を選んだか?」「仕事を覚えるためにどんなことをすれば良いと思うか?」等々、質問が聞こえてくるたびに僕も答えを考えてみるのだけれど、研究会なんかで出される質問と比べると、こちら(回答者)に期待されている答えの抽象度が高く、上手な答えを用意することができなかった。
 青年の面接が終了すると同時に、おそらく僕の不合格も決定した。ちなみに青年は「来週からがんばってね!」と声をかけられていた。

【今日の読書】
『なぜケータイ小説は売れるのか』(本田透著、ソフトバンク新書):ケータイ小説とそれが売れる理由について、かなり冷静に分析されている。ケータイ小説文化に対して、著者自身良い印象を持ってはいないし、そのことは著者自身も自覚している。そして、そういう嫌悪感から発生するバイアスのようなものを著者は自分自身から極力除去しようと努めている。本田氏だからこそ持ちえた公平な視点だと思う。
『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』(洋泉社):本田透氏も対談というかたちで参加している。その意味で今週は、本田祭りだった。たくさんの論者が科学的に事件を分析しているのだけれど、一人の人間の生き様(それが偉人であれ犯罪者であれ)を理解するための道具として、科学はあまりに役立たずであることを再確認した。そろそろ文学の出番だ。