イマジンという魔物

 秀作『ロトの紋章*1のラスボスの名前が確かイマジンだった。異界の魔人ということなのだと勝手に解釈して読んでいたけれど、イマジンという言葉は某名曲のタイトルでもあり、普通、最初に思い出すのはこっちの方かもしれない。想像、イメージ、観念、構想、色々な訳語を当てることができるけれど、意味はそれほど大きく違わない。
 人間と動物とを大きく隔てている要素として挙げられるのが、このイマジンというやつだ。哲学や経済学で人間を定義する際、必ずと言っていいほど登場する言葉でもある。左派や左寄りの人たちにとって、このイマジンは善いものと見なされている。僕も2年くらい前までは、イマジンというものの負の面に目を向けようとは思いもしなかった。
 イマジンとは、現実には存在しないものを思い描くことだ。ペニシリンも飛行機も情報技術もイマジンの賜物だと言っても過言ではないだろう。つまり、イマジンは、進歩や発展の原動力と見なせる一面をもっているわけだ。イマジンのこの面にだけ着目するならば、人類にとって欠かせないもの・神の与えたもうた恩恵とさえ言えそうだ。レオナルド・ダ・ヴィンチアインシュタインもイマジンの申し子というわけだ。
 しかし、「現実に存在しないもの」の中には善いものだけでなく悪いものも含まれる。他人に対する疑いの念や被害妄想や将来への絶望感などもイマジンの賜物ということだ。第三帝国イラク核兵器なんていうのもこの種のイマジンに含まれるかもしれない。『ロトの紋章』のイマジンには、もしかするとこのような負の意味が込められていたのかもしれない。
 ただし、現実のイマジンは倒すことができない。自分自身の首と胴体とを切り離すことで打倒できるかもしれないが、少なくとも僕は試す気になれない。それに、先ほどから気軽に使っている「善さ」「良さ」「悪さ」という概念*2自体、イマジンの賜物なのだから困ってしまう。このイマジンという化け物と何とかうまくやっていくことが、人間らしさということなのかもしれない。
【今日の映画】
「女王蜂」「三つ首塔」:古谷一行金田一耕助のTVシリーズ。石坂版金田一も嫌いじゃないが、僕としてはこっちを推したい。
「花嫁はギャングスター」:主人公(ヒロイン)のアクションは上手くないし、全体的に「予算がなかったんだな」という印象を受けた。にもかかわらず、惹かれる何かがある作品だった。

*1:最終巻に多数の手抜きキャラさえ出てこなければ間違いなく名作だったのに・・・

*2:この「概念」というものもイマジンの類義語のようなものだ。