メリーコンクエストッ!

今日は、終い天神の日。東京で初の民放ラジオ局・ラジオ東京(現在のTBSラジオ)が開局した日でもある。太陽暦にこだわらなければ、旧暦12月25日は、蕪村忌だ。それに、忘れてはならないのは、今日が、偉大なる征服王ノルマンディー公ギョーム2世が、ウィリアム1世としてイングランド王に即位した日だということだ。
天神様や与謝蕪村や征服王に想いをはせつつ、僕は、ケーキを買って食べることにした。
今年から来年にかけて、僕は試される大地にとどまるつもりだ。今年の雪は、なんだか水気が多いので、僕の不快指数はやや上り気味・・・と書いているうちに25日が終わった。
さて、月並みな言い方だけど、今年もいろいろなことがあった*1。本当はもっと世界に目を向けたほうが良いのかもしれないが、僕としては、やはり都条例騒動が一番関心のある出来事だった。いや、正確には、都条例そのものではなく、その裏側に見え隠れする若者論や若者文化論に関心を持った。先日、僕の周囲の教員たちも「最近の学生は、マニュアルが無いと何も出来ない」などと言っておられたので、事態は、僕が考えているよりも深刻なのかもしれないと思うようになったのだ。
「『昔はよかった』とは進歩についてゆけぬ人の言葉である」
これは、河合隼雄『こころの処方箋』(新潮社、1992年)にあった言葉だ。万物は流転する、という考えが正しければ、この河合の言葉にも一理あるだろう。ただし、流転=進歩とは限らないので、進歩という部分は、単に変化と書き換えたほうが良いのかもしれない。置き去りにされるのは、たいていの人にとって不安なことだ。そして、不安は、人をイライラさせたり、観察の眼を曇らせたりすることが多い。