口調の変わる瞬間

日記タイトルをしりとりでつなげていくのは止める。中島らも*1伊集院光*2のような腕前があって初めて活かせる試みなのだと気づいたからだ。
それでは、本題に入りたい。
ドラマや漫画に限らず、老人には老人らしい、悪女には悪女らしい口調というのが存在する。
老人は、「わしゃあ〜じゃ」のように、自分を「わし」と呼び、セリフの語尾に「〜じゃ」をつける。悪者側の女性は、自分を「あたい」(もはや死語かも)と呼んだり、セリフの語尾が「〜じゃないさ」(「〜なのよさ」だとピノコ)のように特徴的だったりする。他にも、キャラクターの役割に応じて、お約束の口調というのがあると思う。
リアル志向のドラマや漫画の場合には、このようなお約束の口調は使われないことが多いのかもしれないが、それはさておき、そういったお約束が、一体どのようにして作り出され、普及し、定着したのだろうか?とても気になる。
少なくとも、僕の知っている老人には、自分を「わし」と呼ぶ人はいない。彼らは、自分を「俺」や「僕」や「私」と呼んでいる。ドロンジョ様のような女性の知人は1人もいないので何とも言えないが、おそらく悪女口調の女性というのだって、実際にはいないんじゃないだろうか?それに、現実の悪い人(お縄になるような仕事に従事している人)は、自分の素性を隠すためにも、普通の人以上に普通の人らしく振舞うだろう。例えば、腕の良い詐欺師は、一流商社のビジネスマンよりも誠実に見えるよう努力しているだろう。
仮に、現実の世界にも老人らしい口調の老人や悪者らしい口調の悪者がいるとすれば、別の疑問が浮かんでくる。
それは次の二つ。
老人は、何歳ごろから自分のことを「わし」と呼ぶようになり、語尾に「〜じゃ」をつけるようになったのか?そして、悪者は、いつから悪者っぽい口調で話すようになるのか?
老人にも当然ながら若い時代があったわけだし、悪者にも悪でも善でもない時期があったはずだ。だとすれば、ある時期に、だんだんと、あるいは、突然に、口調の変化がおとずれたことになる。それはいつ頃で、その変化のおとずれは、どんな様子なのだろうか?
高校デビューとか大学デビューのように、ある日突然変化するものだとしたら、口調を変えた本人は、やっぱり少しだけ恥ずかしいような照れくさいような顔をしているのだろうか?
その変化を感じ取った周囲の人間は、その変化に気づかない振りをしてあげるのが、親切なのだろうか?

*1:『しりとりえっせい』講談社文庫,1993年.

*2:『のはなし』宝島社,2007.