「ズ」ームアウト

 以前、「『紅の〇』は、物語として破綻している」と主張する知人がいた。主人公が人間ではないことの理屈が、物語の中で語られていない、というのが、その人の主張の根拠だった。
 「この物語にはリアリティが足りない」みたいなことを何気なく口にしてしまうことがあると思う。よく考えてみると、このセリフは奇妙だ。非現実の代表格であるような「物語」という名詞を指差して、「この物語は、現実ではない!」と言うのは、「このトマトは、スイカではない!」と言うのに何となく似ている。現実=非現実、この等号が成立しないのは、誰が見ても明らかだ。
 「リアリティが無い!」と憤る時、僕は、その憤りを向ける対象に、何を求めているのだろうか?何かが足りないと感じたのは確かなはずなのに、何が足りていないのかを具体的には指差すことが出来ない。
 そんな時、僕は「リアリティ」という便利な言葉を使うのかもしれない。幾何学の問題を解くのに、接線を書き足したり、文章題を解くのに代数を用いたり、そんなのと同じような感じで、「リアリティ」という言葉を使うのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・どことなくポストモダンな書き出しをしてみようとチャレンジしたんだけど、以前にも書いたように、そもそもポモ自体理解できていないので、書いていて途方にくれてしまったし、脳が疲れたので普通に戻そうと思う。
 
 何が言いたかったのかというと、
 遅ればせながら「ポニョ」を観た!!まんじゅう、「ポニョ」すきぃーー!!
 ということだけだ。気持ち悪くてゴメンなさい。