「つ」まずき

 学部ゼミの前期が終了した。前期最後のゼミは、恒例の卒論構想発表だった。構想の際、誰もが同じようなところでつまずくということを再認識した。以前、他ゼミの知人とも話したことがあるけれど、卒論を書く上で大前提となるのは、問題意識だ。社会科学系ならば、社会の出来事について。自然科学系ならば、自然の出来事について。
 真面目な人ほど、この第一段階で苦しむのだろう。だけど、この第一段階は、誤魔化すことができる。「自分は○○に関心をもっているんだ!」と何十回か自分に言い聞かせれば、不思議なことに第一段階は突破できる。
 ちなみに、「○○」には、新聞とか新書とか噂とか、いろいろな媒体を通じて仕入れたものを入れればオッケーだ。自分が問題だとは思っていないことでも、他人が問題だと思っていることならばテーマになる。
 だけど、自分をだましだまし文章を書くのは、賽の河原で石ころを積み続けるようなものなので、この段階でつまずいてしまった人には同情を禁じえない。
 次は、設定したテーマをどのような角度で論じるか?ということだ。論じ方によっては、テーマの微妙な調整が必要になる。論じ方の決定には、論文執筆者の能力も大きく関わってくる。語学力、資料収集能力、読解力などである。それに、制限時間、研究環境のような外的要因も重要だ。これらのことを考慮しつつ、社会科学系では、主に、


1、統計資料を多用した実証研究(歴史研究を含む)
2、文献資料を多用した学説や思想の歴史研究(思想史・学説史)
3、文献や統計を土台として抽象的なモデルを提示する理論研究(理論)


のようなジャンルの中からどれか一つを選ぶ*1。これが論文のフレームワーク(枠組み)を決定することになる。さらに、1であれば、どの時代のどの国のどの地域(あるいは組織)かを決定することになるし、2であれば、誰の思想のどの部分をやるのかを決めることになる。3は、ハイリスク&ハイリターンなので、あまりオススメできないし、長くなるので省く(だからといって1と2が楽というわけでは決してない)*2
 こうして、何をwhat、なぜwhy、どのようにhow、やるのかが決まり、さらに、誰をwho/どこをwhere/いつをwhenやるのかも決まった。これで、一応の体裁はつくろえるというわけだ。
 もちろん、第一段階と第二段階は、順不同な場合が多い。特に、第一段階で何かに対して強烈な関心を持っている人を除けば、第一と第二との間を行ったり来たりすることになるだろう。毎年、我がゼミの学部生がつまずくのは、第二段階においてだ。あるゼミでは、第一段階でつまずく学部生が多いと聞いたことがある。ゼミによって、人によって、つまずきポイントは違うだろうけど、不思議なことに、うちのゼミでは、みんなそれなりのテーマを引っさげてくるのだから大したものだ。


【今日の読書】
『子供の貧困―日本の不公平を考える』(阿部彩著、岩波新書)
『<子ども>のための哲学』(永井均著、講談社現代新書)
『超バカの壁』(養老孟司著、新潮新書)
『海の向こうで戦争が始まる』(村上龍著、講談社文庫)


【今日の映画】
『古地図江戸さんぽ 池波正太郎剣客商売」を歩く』

*1:こんなふうに、すっぱり3つに分けられることは希有!!

*2:入口が広くて出口が狭いケースもあれば、その逆もあるということ。