「馬」の骨

 中国では、鶏の肋骨と馬の骨は、役に立たないものの代名詞だったらしい*1。この説は、ネットで頻繁に見られたものなんだけど、イマイチ説得力に欠ける。馬の骨の有効利用法については知らないけれど、鶏の肋骨は、よいダシをとるのに欠かせないはずなので、役に立たないというのは言い過ぎだからだ。
 それはさておき、文化系の学問は、馬の骨として広く認知されていて、しかも、それに従事している人たちも自分達のやっていることの意味の無さを自虐ネタとして活用することがあるけれど、世の中には、馬の骨を有効活用する方法を知っている人や発見するのに長けている人というのがいる。この種の人の出現は、百年後かもしれないし十年後かもしれないけれど、その出現によって初めて、基礎研究や抽象的な理論は、有益であることが広く知られるようになる。このようなキーパーソンのことを一般に「偉い人」と呼ぶのだと思う。そして、世捨て人でない限り、大抵の人は「偉い人」になりたい。だけど、どうやったら偉くなれるのかは分からないから、偉そうにしておくのだろう。「力(ローレンツ力)」から「電流」と「磁界」を発生させることが出来るように、「偉そう」から「偉さ」を発生させることも可能だと信じているのかもしれない。
【今日の読書】
『ル・パスタン』(池波正太郎著、文春文庫)
人類は衰退しました』第4巻(田中ロミオ著、ガガガ文庫)
『<あいまいさ>を科学する』(米沢富美子著、岩波書店):不確定性、エントロピー、ファジーなどについてエッセイ風に明快に紹介していて、読み終えると数段頭が良くなったような気がする本。ブルーバックスシリーズにもこんなに分かりやすい本は無いんじゃないだろうか。しかも、とても薄い本。