「乳」酸菌はヨーグルトの夢を見るか?

 東大合格生のノートは、美しいそうだ。東大受験の可能性すらなかった僕のノートとは対照的である。
東大式ノートブームは、一定の周期でやってくる。美しいノート作りの方法を学ぼうとして、マニュアル本を買い、読み、そして、絶望する。そういう通過儀礼のようなものとしてやってくる。
 ノートマニュアル本の有効性を信じてしまう人というのは、大事なことを忘れている。1つは、東大生のノートが、なぜきれいなのか?ということ*1。1つは、実際にノートを記すのは、他でもない自分だということ。
 東大合格者のノートがきれいな理由は、いくつか推測することができる。
1、頭が良いので、黒板に書かれた内容を簡潔にまとめて記述することができる。
2、既に理解している内容なので、参考書の編纂者のような体系的な記述を実行できる。
3、論理的な思考を修得しているので、どれが論理的に重要な箇所なのかを即座に判断できる。
4、大昔に理解したことばかりで暇なので、趣味として美しく記述している。
東大生になったことの無い人間に、東大生の性質を正確かつ完璧に描き出すのは不可能かもしれないけれど、そんなに大きく外れてはいないと思う。要は、ノートを記述している当人の性質が問題ということ。理解不能な内容をきれいに整理することは出来ない。きれいに整理できたということは、ほぼ理解できたということと同義だろう。
 だから、[充分に内容を理解した人間→きれいなノート]という成立順序はあり得るけれど、その逆が成立するかどうかは疑わしい。丁寧に版書を丸写ししたノートが誕生するだけで、きれいなノートを生み出すことは出来ないだろう。多分、[丁寧な丸写しノート→以前と変わらない自分]という悲しい現実に直面することになるのだろうし、かつてのノート信者たちは、これを経験したのだろう。
 このようなトリックは、成功マニュアル書すべてに当てはまる。ビジネスを実行するのが、他でもない「自分」であることを、そういう類の本は上手に隠してしまう。乳酸菌からヨーグルトは作れない。乳酸菌は、ヨーグルトの一部分でしかないから。
 ちなみに、僕は、この数年間というもの、すっかりノートを記すことから離れてしまった。広告や不要なレポートの裏に、なにやら怪しげな概念図ばかり描いている。文書は、書くのではなく、打つようになった。頭の中に浮かんだことをそのままカタチにすることができるのが、ワープロ機能の優れたところだと思う。手書きだと、書こうと思っていたことが、アレヨアレヨと言う間に消えてしまうことがある。ワープロ機能は、脊椎反射に優しい。

*1:東大合格者の中には、ノートを記さない無頼派やノートが汚い野生児も当然いるだろう。