選挙

 ゼミで使っているテキストに、「米国では貧困層ほど投票に行かない」というような記述があった。この記述に対して、学部生たちから「日本も投票率は低いけど、日本の場合は、投票に行かないのは政治意識が低いから」という意見が出た。
 僕は生来の面倒くさがり屋なので、余計にこんなことを考えてしまうのかもしれないけれど、投票に行くためには、政治意識云々は確かに重要かもしれないけれど、なによりも肉体的かつ精神的余裕が必要なのだと思う。一言で言い換えたならば、「余裕」とか「暇」とか呼ばれているもののことだ。
 投票は休日に行われる。5日間なり6日間働いて、そうしてたどり着いたせっかくの休日。しかも一日は24時間しかない。そこから睡眠時間(8)、食事の時間(2)、トイレや風呂の時間(1)、食事や風呂等の準備時間(2)等々を差し引くと、11時間〜13時間。投票に行けば、そこからさらに時間がマイナスされる。もちろん、来週の仕事に備えるための時間もここからマイナスされる。
 一見、10時間程度の自由時間があるかのように見えるし、実際にあるのだけれど、5日間もしくは6日間の間、我慢に我慢を重ねた結果として手に入れた貴重な十数時間であることを忘れてはならない。絶対的には十数時間の自由なのだけれど、相対的には「十数時間/(労働時間+仕事のせいで自由にならない時間+疲れた体と心を癒す時間)×5or6」なのだから、十数時間という数字を数字のまま鵜呑みにすることはできない。
 このことを踏まえると、投票率の低さと経済とが結構な強さで結びついていると言えるかもしれない。ある本で知ったことなのだけど、アリストテレスには少なくとも15人の奴隷がいたのだそうだ。思索に耽ったり、政治に思いを馳せたりするためには、かなりのエネルギーが必要なのだろう。そういえば、歴史上有名な思想家や政治活動家は、ほとんどの場合、自分で自分の面倒を見たことのない人だったのではなかったか。
 こういう風に考えてみると、生活とか日常とかいった地味な視点も経済には欠かせないということがわかる。

【ある本】
ギリシア哲学者列伝』:岩波文庫から上、中、下の三冊本で出されている。出版年が古いので、書店には置いてないかもしれない。