ネット後インフルエンザ

 ちっとも快復に向かわないので、今日、医者に行ってきました。診断結果はインフル。医師によると、ここ一ヶ月のインフルエンザ患者の8割が寮の住人だったとのこと。いつ黒死病が流行っても不思議でない衛生状態なのだから、仕方無いのかもね。

第1回 古いことは悪いことか?

 「それはもう古いよ」とか「古いから捨てたら?」とか、日常生活で「古い」という言葉は、「悪い」「使えない」「意味がない」などのようなネガティブな意味で使われることが多い。僕も研究テーマがテーマだけに、「○○って古くねっ?」と言われることがあるし、それに対する反論や回答を常に準備しようと心がけている。
 確かに、食べ物とか衣服とかそういう物質に関しては、「古い」ことが「悪い」「使えない」ということを意味することは多い。けれども、思想とか理論の場合には、「古い」の一言で一刀両断しようとするのは、いくらか大雑把だし誠実ではない。特に文系の研究には、古い時代や古い思想について研究している人たちが多い。でも、そういう研究をしている人たちは、「古さ」から普遍や真理を採りだそうと奮闘しているのであって、思想や時代を骨董品のように単に愛でているわけではない。
 先々週、僕も若手の教員から「〜は古い」と言われた。彼は何だか得意顔だったけれど、こういう批判は生産的ではないし、おそらく彼は、学会のように偉い人たちの集まる場所ではこんな批判を口にはしないのだろう。研究内容についての建設的な批判や見解ならともかく、「古さ」に対する批判は、突き詰めると好き嫌いの問題になってしまう。
 逆に、「新しい」ことについて研究するのはすばらしいのか?と言えば、これも研究者の腕前と研究内容次第ということになるだろう。ただ、文系の学問の場合、「新しい」研究対象といっても何だか良くわからない。とりあえず思いつくのは、世界を賑わせているような現象の分析、現代の諸問題に対する政策提言、すばらしい未来を創るための理論・・・・・・などだろうか。どれも重要なテーマだとは思うのだけど、特に2番目と3番目のテーマは、研究者よりも実務家によって行われた方が良いような気がする。研究者のなかにも実務能力に長けた人はいるから、そういう人ならば有意義な研究ができるかもしれないけれど、現実や将来に立ち向かうためには、頭の良さだけではどうにもならない場合も多々あるだろうし、周囲の人たちにとって余計なお世話である場合もある。
 1番目のテーマは、例えば経済学でもかなりメジャーな研究領域だし、むしろ、経済学の存在意義はここにこそあるとも思うのだけど、この研究に取り組むためには、膨大な量の「古い」ものについての研究が必要になる。
 これは僕の直感だけど、「新しい」ものばかり追いかけていると、テレビのつまらないコメンテーター程度のことしか考えられなくなるのかもしれない。一時期流行した「ニート」に関する研究も、その大半は、ありきたりな道徳論や「〜すべき」論の類だったように記憶している。今の「ワーキングプア」に関する研究にもいくらかその傾向が見られる。「新しい」ものを必死に追いかけるあまり、「古い」もの、つまり、人類の蓄積してきたものについての興味関心をどこかに放置してきてしまったのだろう。
 「巨人の肩の上に立つ」ためには、その巨人が何者なのかを明らかにしなければならない。正体不明な巨人の上になんて、危なくて立てたものではない。文系における「古い」研究は、理系のいわゆる基礎研究ということになるのかもしれない。