風評被害

 日本人は自国の文化や歴史に疎くて、外国の人たちは自国の文化や歴史に詳しい。日本の大学生は議論が苦手で、海外の大学生は盛んに発言・議論する。以上は、よく耳にするけれど、その根拠については明示されたことがない(少なくとも僕は見たことがない)意見だ。
 残念ながらアジア圏以外の留学生とは面識がないし、中国や韓国やマレーシアなどの留学生と面識があるといっても、彼らとの個人的な交流はないし、彼らが議論に参加するような場に居合わせたこともない。だから、僕の経験だけでは、上述のことを検証することができない。
 まず、「日本人以外は、自国の文化や歴史に詳しい」という噂についてだが、文化や歴史に詳しいと言っても、その詳しさにはいくつかの段階がある。大学で自国の文化や歴史を専攻していた人と中学生とでは、詳しさのレベルは違うだろうし、大学教授にもなれば、詳しさのレベルはぐっと増すだろう。ただし、専門性が高くなればなるほど、知識は、広く浅くから狭く深くなってゆく。ある地域の文化についてならば何でも知っているとか、ある人物のことなら完全に把握しているとか、専門性の高まりとともに、詳しい領域が偏ることになる。
 海外の人たちが自国の歴史や文化に詳しいとして、その詳しさはどの程度のものなのか?自国の紀元前から現代に至るまでの年表を全て暗記しているくらいの詳しさだろうか?それとも、自国の法制度についてならば、その成立過程や成立理由まで全て理解しているというような詳しさなのだろうか?それとも、日本人の中学生が使っている日本史教科書レベルの事柄ならば、全て暗記しているということなのか?
 次に、「海外の大学生は議論が得意で頻繁に発言する」という噂について。サンデル教授の講義が話題になっていたが、あれを見る限り、少なくとも米国の学生は、議論にも発言にも積極的というような印象を受ける。ただ、あの講義が日本で開かれた際、日本人の学生も積極的に議論に参加・発言していたようなので、講義の進め方や構成の仕方によっては、国籍を問わず、議論は活性化するものなのかもしれない。加えて、海外でもエリート層の多い大学では、恥をかくのを恐れて、沈黙を守る学生が多いという話をどこかで読んだこともある。ただ、議論が活発かどうかも発言が頻繁かどうかも、それを観察する人の感性によっては、多少評価にばらつきが出るだろう。ある人にとっては活発に見えたが、別の人にとってはまるで沈黙しているようだった、というような極端な違いは出ないだろうけれど、正確な比較は難しそうだ。
 兎にも角にも、こういったことは、かなりたくさんのサンプルを集めてみないことには、はっきりとはわからない。面倒くさそうなので僕はやらないが。
 冷静になってみると、実は明確な根拠が示されていない。そんな神話レベルの主張というのは、今回挙げたもの以外にもけっこうあると思う。例えば、「日本人は出る杭は打つが、米国人は優れた人を素直に称賛する」というようなやつだ。「ねたみ」という意味の単語「jealousy」や「envy」があるのだから、他人に嫉妬するということがないわけではなさそうだ。これも検証が必要だろう。誰かにやって欲しい。


【本】
反社会学講座』(パオロ・マッツァリーノ著、ちくま文庫)
爆笑問題 ニッポンの犯罪12選 日本史原論犯罪史編』(爆笑問題著、幻冬舎)
『理性ある人びと力ある言葉 大内兵衛グループの思想と行動』(ローラ・ハイン著、大島かおり訳、岩波書店)