電子の容積

 書籍が電子化されえた場合、装丁家の人たちは、かなりのダメージを受けそうな気がするんだけど、今のところ組織的な動きは見られない。
 自炊や著作権など、電子化に関しては、なにやらややこしい問題のオンパレードだ。諸問題の行く末はわからないけれど、電子媒体が紙媒体に対して圧倒的に優れているというわけでもないと思うので、紙の書籍を世界から無くしてしまうようなことだけは起きて欲しくない。
 電子書籍の魅力はいろいろあるのだろうけど、僕としては、場所をとらないということを挙げたい。本を置くスペースというのは、言い換えれば、建物の面積だ。だから、本を所有するということは、生活に必要最低限のスペースのほかに、本を置く場所を確保しなければならないということだ。そうであれば、借りるにしろ購入するにしろ、家には必要最低限以上の広さが求められる。広い住居を借りる場合、あるいは、購入して維持するためには、当然のことだけど余分なお金が必要になる。家に書籍を置かない場合でも、倉庫を借りたり、誰かに預けたりしなければならない。そうなれば、やっぱり余分なお金が掛かる。
 名前に「フォン」が付いてる人や一部のお金持ちだけが本を所有する時代であれば、スペースなんて問題にならなかったかもしれないが、誰もが大量に本を読める時代において、スペースのコストは、けっこう大事な問題なんじゃないだろうか。
 書籍の電子化は、仮に、本一冊あたりの価格が、紙と電子とで同じだとしても、スペースに掛かるコストを大分カットしてくれる。これは単なる妄想の類だけど、誰もが街中の個人書店並みの蔵書を持てるようになれば、小説家や研究者への道幅は、今までより少しだけ広がるような気がする。スペースに割くお金が無かったばっかりに夢を諦めていた人たちがいたとすれば、少なくともその人たちだけは、電子化の恩恵を受けることができるし、僕は、その人たちの作品を読むことができるようになる。
 電子化とは関係ないけれど、必要な財の小型化は、書籍の電子化と同じように、スペースに掛かるコストをカットしてくれる。とはいっても、情報媒体と違って、自動車や炊飯器や洗濯機や冷蔵庫、これらの小型化には明らかに限界がある。だから、僕は、ホイ〇イカプセルが発明されることを切に願っている。「ドラえもん」よりもスペースが要らない。


【本】
『おぞましい二人』(エドワード・ゴーリー柴田元幸訳、河出書房新社)
『無限の相のもとに』(埴谷雄高立花隆平凡社)
『「怠惰」に対する闘い』(乳原孝、嵯峨野書院